@article{oai:hokuriku.repo.nii.ac.jp:00000257, author = {林, 敬 and Hayashi, Kei}, journal = {北陸大学紀要, Bulletin of Hokuriku University}, month = {Dec}, note = {第一次大戦の帰趨がもはや決定的となった1918年11月,ドイツでは平和を求める民衆の蜂起が全土を揺がし,ドイツの支配体制はこれによってあっけなく崩壊した。その結果生じた権力の空白の混乱の中で,民衆のさまざまな苦悩と希望が交錯した。バイエルンにおける翌年5月までの半年間は,このような背景から生まれた革命運動の上昇と下降の半年間であった。エルンスト・トラー(1893〜1939)は,バイエルンの平和要求と社会主義革命の闘いを担い,敗北後は挫折した革命のシンボル的存在となった。彼は政治的指導者として民衆と共にこの革命に共同体への夢の実現を託した。一方,革命が敗北に終った後は表現主義の劇作家として自ら体験した状況を作品化し,敗北後の共和国の状況に働きかけた。特に革命を扱った作品は民衆の中に共感と支持を呼び起こし,革命への思いの込められた,「トラー伝説」が現われるほどぞあった。トラーが我々の興味を引くのは,前提として,彼の生きた「ドイツ革命」からワイマール共和国の時代を経てナチスの時代に至る,時代そのものに対する関心があり,トラーがその時代の希望と苦悩に深く関わっていたからである。そして,彼の生き方には社会変革を思念する個と現実の革命闘争や政治的全体との矛盾が悲劇的に現われていた。(ちなみに彼は自ら支援したスペインの人民戦線の敗北後,亡命先のニューヨークのホテルの一室で自殺した。)彼は,暴力的に規定された時代の,激しい転変の中で,社会主義的土台の上に立つ人間共同体の実現を希求しながら,同時に,人間愛-社会主義革命-暴力の問題を苦悩した。一つにはそれが解放的暴力であるにしても,現実の暴力の中には,革命のイデーにとって致命的な人間性の堕落が潜んでいるからである。また一つには,革命が現実のものである限り,必然的に暴力が行使されざるを得ないからである。暴力のもつ両義性は彼にとって克服しがたい,革命の内在的矛盾であった。そして,結局彼は現実の暴力によって追放されたが,暴力的迫害は決してナチスによってばかりではなかった。トラーに対する評価は,政治的にも文芸批評的にも,さまざまに試みられてきたが,しかし,彼が苦悩し,あるいは提起してきた問題そのものは解決されたわけでも,克服されたわけでもない。それは今日なお,アクチュアルな問題としてとどまっているのである。本論は,それゆえ,とりあえず文学研究以前のものとして,トラーの伝記的展望のもとに,時代との相剋から形成された彼の基本的革命観を考察し,さらにバイエルンの現実の革命の中で,問題がどのように自覚されていったかを理解しようとする試みである。もっとも,この革命における体験の考察はトラーの作品の正当な評価の欠かせない条件ともいえるのである。}, pages = {97--108}, title = {エルンスト・トラーとバイエルン革命}, volume = {7}, year = {1983}, yomi = {ハヤシ, ケイ} }